みどころ・作品紹介 Introduction

彼が追い求めたもの―
絵画表現のさらなる高みへ。
Introduction

フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》
フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》
1888年6月17-28日頃、 油彩/カンヴァス、 64.2×80.3cm
クレラー=ミュラー美術館
©Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
Photography by Rik Klein Gotink
 2025年より開催した「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」では、素描と油彩習作で基礎を固めたオランダ時代から、鮮烈な色彩表現に目覚めたアルル時代までの、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)の足跡をたどりました。そして2027年、その続編として「大ゴッホ展 アルルの跳ね橋」が開催されます。
 本展では、オランダのクレラー=ミュラー美術館のコレクションから、アルル、サン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズに至る晩年期の油彩画を中心とする約50点のファン・ゴッホの作品が展示されます。加えて、ポール・シニャックやジョルジュ・スーラなど同時代の画家たちや、ファン・ゴッホに触発された20世紀の芸術家たちの作品約20点も紹介いたします。

 19世紀後半のフランスで数々の世界的名画を描き、圧倒的な知名度と人気を誇る画家フィンセント・ファン・ゴッホ。しかし彼は生前からこのような名声を享受できたわけではなく、その生涯は様々な困難に抗いつつ、絵画制作に没頭する日々の連続でした。
 1888年2月よりファン・ゴッホは、パリから南仏アルルへ活動の拠点を移します。温かな陽気と澄み切った空気に包まれたこの地を、すでに浮世絵版画を通じて憧れを抱いていた「日本」と同じだと称賛し、その風景や人々の姿を夢中で描くことになります。
 その後、ポール・ゴーギャンとの共同生活が破綻したファン・ゴッホは、1889年5月からサン=レミの療養院に入ります。しばしば発作に襲われながらも制作意欲はおとろえることはなく、より洗練された色彩感覚に、生き生きとした感情と想像力をまじえて、多くの作品を生み出しました。
 南仏での療養生活に限界を感じたファン・ゴッホは、郷里であるオランダ・ブラバント地方への追憶など、北方回帰の意識を強めるようになります。1890年5月よりパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、その田園風景の美しさと幸福感に癒やされ、パリに住む弟テオ夫妻の理解と支援に力づけられて、絵画表現のさらなる高みを求め続けました。
 同年7月、ファン・ゴッホの人生は突然の終幕を迎えます。しかし、生涯にわたり彼が描き続けた作品は、苦悩や悲しみだけではなく、自然の生命感や人々の友愛も伝えています。前回と合わせて、ファン・ゴッホの作品数が100点を超える「大ゴッホ展」で、彼が生涯をかけて追い求めた絵画芸術の世界を感じとっていただければと思います。

アルルの跳ね橋The Langlois Bridge at Arles

フィンセント・ファン・ゴッホ 《アルルの跳ね橋 (ラングロワ橋)》
フィンセント・ファン・ゴッホ 《アルルの跳ね橋 (ラングロワ橋)》
1888年3月中旬、 油彩/カンヴァス、 54×64cm
クレラー=ミュラー美術館
©Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
Photography by Rik Klein Gotink
 1888年2月に南仏アルルに降り立ったファン・ゴッホは、春の訪れとともに、この地方の美しさに魅了されます。その中で目にとまったのが、故郷オランダを彷彿とさせる、「ラングロワ橋」という、運河にかかる跳ね橋でした。これを題材にした彼の油彩画作品は5点の存在が知られていますが、その最初の作品として、1888年3月中旬に描かれたのが本作となります。

 ファン・ゴッホは、快晴できらめく水面をとりまく光景を、日本の浮世絵を想起させるような輪郭線を基調に、緑とオレンジ、青と黄色など、対照的な色彩を効果的に組み合わせ、その場でカンヴァスにとどめました。彼はその出来栄えに満足し、パリに住む弟テオを通してオランダの画商・ヘルマヌス・ヘイスベルトゥス・テルステーフ(1845-1927)に贈ることを計画します。かつて本作の画面左隅には、その献呈を示す文言が記されていました。この人物はハーグの美術業界で大きな影響力を持ち、ファン・ゴッホは彼に畏敬と怨恨の入り混じった複雑な思いを抱いていました。そのテルステーフにあえて、本作で自らの最新の絵画表現を示すことで、故郷オランダでの過去に区切りをつけ、前衛画家としての覚悟を新たにしようとしたのでした。

この土地が澄み切った大気と鮮やかな色彩効果で、日本のように美しく見えるということから書き始めたい。風景の中で水が美しいエメラルドと豊かな青の斑紋を描いていて、ちょうど浮世絵に見られるのと同じようだ。
——ファン・ゴッホの手紙より
手紙 587 アルル 1887年3月18日 エミール・ベルナール宛 『ファン・ゴッホの手紙 Ⅰ・Ⅱ』
(フィンセント・ファン・ゴッホ著、ファン・ゴッホ美術館編、圀府寺司訳、新潮社、2020年)

夜のプロヴァンスの田舎道Country Road in Provence by Night

フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》
フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》
1890年5月12-15日頃、 油彩/カンヴァス、 90.6×72cm
クレラー=ミュラー美術館
©Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
Photography by Rik Klein Gotink
 1890年5月中旬に本作を描いていたとき、ファン・ゴッホはサン=レミの療養所から転地する準備に追われていました。1888年2月以来、彼が暮らしてきたプロヴァンス地方での、おそらく最後の作品と考えられます。

 ウルトラマリンを基調とする空には、柔らかなピンクや緑色で渦巻くような細かい描線が充填され、雲や光のうつろいを感じさせます。細い三日月と星がひとつだけ、誇張された明るさで輝き、これに照らされた田舎道を、白馬に引かれた黄色い馬車と二人の人物がこちらに向かってきます。この情景の主人公のごとく、まっすぐ、ゆらめきつつそびえ立つ、大きな糸杉が本作の叙情性をかきたてます。

 サン=レミ時代、しばしば発作に襲われるなど、屋外での入念な自然観察が困難だったファン・ゴッホは、画家仲間のポール・ゴーギャンやエミール・ベルナールよりかねてから勧められていた「想像」もしくは「記憶」を駆使して描く手法をしばしば試みました。本作はその効果が遺憾なく発揮された、彼の夜景表現の集大成ともいうべき作品です。

 本作の制作から約1ヶ月後、ファン・ゴッホはゴーギャンあての手紙で、淡々と、少し誇らしげにその内容を説明しますが、同時に「最後の試み」「非常にロマンチックとも言えるが、同時にプロヴァンス風でもあると思う」という言葉も添えています。自らの創作を豊かにしてくれた、友人たちからの助言と、明るく華やかなプロヴァンスの風土に感謝しつつ、これらに別れを告げて、パリ郊外の新天地オーヴェル=シュル=オワーズで絵画表現のさらなる高みを目指したい― ファン・ゴッホの新たなる決意と未来への転換点を刻む作品でもありました。

クレラー=ミュラー美術館Kröller-Müller Museum

クレラー=ミュラー美術館 外観
クレラー=ミュラー美術館
©Kröller-Müller Museum/photo: Jannes Linders
クレラー=ミュラー美術館は、オランダ・ヘルダーラント州のデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にある美術館。約90点の油彩画と約180点の素描などからなる、世界屈指のファン・ゴッホによる作品が収蔵・展示されています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 《自画像》
ヘレーネ、アントン夫妻の写真
1937年 クレラー=ミュラー美術館
クレラー=ミュラー美術館
©Photo Archive Kröller-Müller Museum
実業家のアントン・クレラー=ミュラーと、妻のヘレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションを基に1938年に開設された美術館です。ヘレーネは、ファン・ゴッホが評価の途上にあった1908年からのおよそ20年間に、夫アントンの支えのもと、ファン・ゴッホの油彩画約90点と180点を超える素描・版画を収集しました。ヘレーネは作品がもたらす感動を多くの人々と分かちあうためにコレクションを公開、それがファン・ゴッホのゆるぎない評価につながっていきました。
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